東京地方裁判所 平成元年(行ウ)84号 判決 1991年12月20日
原告
下規
右訴訟代理人弁護士
小林保夫
被告
社会保険庁長官
北郷勲夫
右指定代理人
若狭勝
外七名
主文
被告が昭和六二年一月一二日付で原告に対してした船員保険法による遺族年金を支給しない旨の処分を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
主文と同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1 原告は、船員保険の被保険者である下勇(昭和六年四月九日生)の死亡当時、その妻であったものである。
2 下勇は、神戸汽船株式会社のコンテナ船タワーブリッヂ号(総トン数三万四四八七トン)に船長として乗り組み、東京港から名古屋港に向けて航行中の昭和六一年七月九日午前三時三五分頃、タワーブリッヂ号船橋において突然昏倒し、同日午前四時頃(推定)右船橋において急性心不全により死亡した。
3(一) 原告は、下勇の死亡に伴い、昭和六一年九月二四日、下勇が職務上の事由により死亡したものとして、被告に対し船員保険法による遺族年金の支給の裁定を請求したところ、被告は、昭和六二年一月一二日付で下勇の死亡が職務上の事由によるものであるとは認められないとして、右遺族年金を支給しない旨の裁定(以下「本件処分」という。)をした。
(二) 原告は、昭和六二年三月一三日本件処分につき東京都社会保険審査官に対する審査請求をしたが、同審査官は、同年六月一九日付で右審査請求を棄却する旨の決定をした。原告は、さらに昭和六二年八月一四日本件処分につき社会保険審査会に対する再審査請求をしたが、同審査会は、昭和六三年一二月二六日付で右再審査請求を棄却する裁決をし、原告は平成元年一月九日に右裁決があったことを知った。
4 以下のとおり、下勇の死亡は職務上の事由によるものである。
(一) 死亡に至る経過
(1) 下勇は、昭和五六年から外国航路の船舶の船長として勤務していたが、昭和六〇年一二月、同月に竣工したばかりのタワーブリッヂ号に船長として乗船し、極東・北米間の定期航路における運航に従事していた。
(2) タワーブリッヂ号は、昭和六一年六月二六日米国のオークランド港を出港し(以下、この航海を「本件航海」という。)、北太平洋を横断して同年七月七日東京港外に投錨停泊したが、右の北太平洋航行中は折から霧の季節で視界が不良である上、北洋サケ・マス漁の操業区域を通過することになり、また、日本沿岸においても頻繁に霧が発生する上、大小多数の船舶が往来し、ともに厳しい監視と緊張とを強いられる状況であったため、船長である下勇は、漁船や漁網との衝突、接触を防止する必要上、昼夜を問わず頻繁に昇橋して操船指揮等に当たった。そのため、下勇は、睡眠不足と疲労とが重なって、東京港外に停泊する頃には、「最近寝付きが悪い。」ともらしたり、休暇を取って下船する甲板長の送別パーティーに疲労を理由として出席を断ったりするまでに至った。
(3) タワーブリッヂ号は、同年七月八日午前六時一五分から東京港への着岸を開始して同日午前七時四五分に着岸した。着岸後、下勇は、入港手続、代理店等との応対、来船者の応接、航路通報、書類整理等の事務処理に多忙を極めたが、休む暇もなく同日午後五時一〇分タワーブリッヂ号を名古屋港に向けて出港させ、輻輳する大小船舶との衝突等を防止するため同日午後九時一〇分頃まで船橋で操船指揮に当たった後、食堂で夕食をとり、日常少量の酒を嗜むにもかかわらず、部下から勧められた飲酒を断り、午後一〇時頃再度昇橋して注意事項の記入や指示を行った上、降橋して自室で就寝した。しかし、下勇は、同月八日午前二時五分頃起床して午前二時二〇分に昇橋し、折から霧のため視界が悪い中で漁船との衝突を避けるため自ら操船指揮を行い、午前三時二八分に乗船した伊良湖ベイパイロットに操船指揮を引き継いだ直後の午前三時三五分頃、船橋において昏倒した。そして、その場で他の船員による応急措置を受け、名古屋港入港後の同日午前七時頃名古屋掖済会病院に運ばれて医師の診察を受けたが、既に死亡しており、その死亡時間は同日午前四時頃で、死因は急性心不全によるものとされた。
(二) 下勇の死因及び同人の死亡前の健康状態
下勇は、心筋梗塞症に基づく急性心不全により死亡したものである。そして、同人には、生前循環器系疾患に係わる持病や既往症はなく、定期健康診断の結果においても何ら異常な所見はみられなかったし、また、死亡時までの日常生活は船上で送られていたものであり、大量の飲酒など健康に支障を来すような行動をとったことはないから、その死亡について職務との関連以外の私的な要因は全く見出し得ない。
(三) 職務遂行性について
下勇は、航行中のタワーブリッヂ号船橋において死亡したものであるから、その死亡が職務遂行性を有することは明らかである。
(四) 職務起因性について
(1) 右(二)のとおり、下勇には循環器系疾患に係わる持病や既往症はなく、定期健康診断における異常所見等も見られなかったから、同人にはその死亡に関連する何らかの基礎疾患は存在していなかったものと認められる。そして、下勇は、死亡するまで約六か月余の長期間にわたってタワーブリッヂ号に乗船しており、その業務及び生活の場はともに航海中の船上であって、その生活全体が業務遂行と一体ないし不可分であり、かつ、死亡するまでの間にその死亡に直接間接に関係するような職務外の恣意的行為は存在しなかった。したがって、下勇について心筋梗塞症その他死亡の結果をもたらした原因は、時間的にも場所的にもその職場環境と業務による刺激以外に想定することができないから、このような場合にあっては、下勇の死亡原因が職務に起因する旨の強い推定が働き、右推定を覆すに足りるだけの充分な反証の存在しない限り職務起因性の存在が認められるべきであるところ、本件ではかかる反証は全く存在しない。
(2) 元来、船上勤務は、陸上勤務に比べて疲労やストレスの蓄積が格段に促進されるものであるところ、右(一)のとおり、下勇は、昭和五六年以降長期間にわたり外国航路の船舶の船長として勤務しており、その勤務内容は、精神的肉体的に多大の負担を伴うものであった上、昭和六〇年一二月から乗船していたタワーブリッヂ号は、新鋭、高速のコンテナ船で、しかも定期航路に就航していたため、その高速性を前提とする極めて厳格な航行時間の管理が求められ、船長である下勇はこのような厳格な航行時間の管理と事故防止の責任から、絶えず多大な精神的緊張と肉体的努力とを強いられており、疲労とストレスとが蓄積されていた。その上、本件航海における北太平洋航行中は、霧による視界不良の中でサケ・マス漁船との衝突、接触事故を防止するため、昼夜を問わず自ら船橋において監視、操船指揮をすることを余儀なくされ、この時季にタワーブリッヂ号で北太平洋を航行したのは初めてである下勇としては、とりわけ過重な肉体的努力や精神的緊張を要求されて疲労とストレスとが急激に増大し、自ら身体の変調や疲労を訴えるなど体調の異常や衰弱の徴表を示すまでになったが、船長としての職責と責任感とから必要な休息や睡眠をとることができなかったし、また、航行中の船舶という特殊な環境下にあるために、日常の健康管理や診療体制も不充分で、適切な診断治療を受けることもできないまま経過した。そして、下勇は、昭和六一年七月八日午前六時過ぎに東京港への着岸を開始した後、同日午後九時過ぎまで、入港手続、代理店との応対その他の事務手続並びに操船指揮の業務に従事した上、四時間を超えない程度の休息、睡眠をとったのみで、同月九日午前二時から船橋で操船指揮を行った末、同日午前三時三五分に昏倒したものであり、右の経過に照らせば、過度の疲労とストレスとが蓄積されている状態での東京港への着岸開始以後死亡時までの一連の勤務状況が、心筋梗塞発症の引金となる過重な負担となった蓋然性が極めて高いものというべきである。
(3) 現在の医学常識によれば、下勇が身体の変調を自覚し又は体調の異常、衰弱の徴表を示した段階で、必要適切な医療措置を受け、休息等をとっていれば、心不全の発症を防止しあるいは少なくともその症状を軽減させていた蓋然性が極めて高いものというべきところ、タワーブリッヂ号を含め、航行中の船舶でありながら船医を置かないという近時の船内の健康管理体制の合理化のため、下勇はかかる医療措置等を受けることができなかったものであり、このことは船上勤務に不可避の事態であるから、このような事情の下での心不全による死亡については、仮にその原因たる疾病自体は職務に直接関連しない場合であっても職務起因性の存在が認められるべきである。
(4) 心筋梗塞症の発症をみた場合であっても、適切な救急医療が施されるならば、死の結果を免れ得る蓋然性が充分にある。そして、下勇が心筋梗塞症を発症して昏倒してから死亡するまでの間に約三〇分程度の時間があったところ、大阪市消防局の昭和六一年度の出動事例によれば、救急車が連絡を受けて出勤してから、患者を搬送し医療機関に到着するまでの時間は、二〇分未満が82.3パーセントに上り、平均一五分前後と推定されるから、大阪市に隣接する大都市である神戸市に居住する下勇が、仮に自宅において心筋梗塞症の発症をみたのであれば、右のような救急医療措置を受けて死亡の結果を免れた蓋然性が高かったというべきである。しかるに、下勇は職務上航行中の船舶に乗船していたために、かかる救急医療措置を受けることができず、死の結果を余儀なくされたものであるから、その発症と死亡とは、職務に起因するものと認定されなければならない。
(5) 以上のとおり、下勇の心筋梗塞症の発症及びそれによる死亡について職務起因性が存在することは明らかである。
5 よって、本件処分には、事実を誤認した違法があるから、その取消しを求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1ないし3は認める。
2(一)(1) 同4の(一)の(1)のうち、下勇がタワーブリッヂ号に船長として乗船していたことは認め、その余は不知。
(2) 同(2)のうち、タワーブリッヂ号が昭和六一年六月二六日米国のオークランド港を出港し、北太平洋を横断して同年七月七日東京港外に投錨停泊したこと、北太平洋航走中、北洋サケ・マス漁の操業区域を通過したことは認め、その余は不知。
(3) 同(3)のうち、タワーブリッヂ号が昭和六一年七月八日午前六時一五分から東京港への着岸を開始して同日午前七時四五分に着岸したこと、着岸後、下勇が代理店及び関係者等の対応をしたこと、同日午後五時一〇分名古屋港に向けて出港したこと、下勇が伊良湖ベイパイロットに操船指揮を引き継いだ直後の同月九日午前三時三五分頃船橋において昏倒したこと、下勇が同日午前四時頃急性心不全により死亡したものとされたことは認め、その余は不知。
(二) 同(二)のうち、下勇の死亡時までの日常生活が船上で送られていたことは認めるが、同人が心筋梗塞症に基づく急性心不全により死亡したことは否認する。その余は不知。
(三) 同(三)は認める。
(四) 同(四)の(1)ないし(4)の各事実は不知。主張はいずれも争う。
(2) 同(5)の主張は争う。
3 同5の主張は争う。
三 被告の主張
1 船員保険の被保険者の死亡が職務上の事由によるものとされるためには、当該死亡の原因となった事故が職務を遂行している間に発生したものであること(職務遂行性)のほか、その事故が当該職務に内在している危険が具現化したものであると経験則上認められること、すなわち職務との間に相当因果関係が存在すること(職務起因性)が必要であるが、以下のとおり、下勇のタワーブリッヂ号の船長としての職務とその死亡原因との間に相当因果関係は認められないから、下勇の死亡が職務上の事由によるものであると認めることはできない。
2 疲労、ストレスの蓄積等の不存在
(一) 下勇は、死亡時までに、船員として三〇年以上の経験を有し、外国航路を航行する船舶の船長としての航海経験も豊富であった上、昭和六〇年一二月から昭和六一年五月までの間にタワーブリッヂ号の船長として、本件航海と同様の航路を既に五回航行しており、タワーブリッヂ号の船長としての経験及び右航路の航行経験も充分に有していた。
(二) また、下勇の死亡前一週間の行動は別表のとおりであって、食事は、ほぼ一定の時間に取っていたことが窺えるし、また、自室に居た時間も決して少ないとはいえず、その間、睡眠不足に陥らない程度に継続して就寝していたものと推認できる上、その職務も通常の業務程度に比較して過度であったことは窺えない。さらに、本件航海において突発事故その他異常事態が発生したこともない。
なお、タワーブリッヂ号が北太平洋を航行中に北洋サケ・マス漁の操業区域を航走したのは、昭和六一年七月三日と同月六日の二日間で、この間下勇が操船指揮を行ったのは、同月三日の午前七時から午前一一時までの四時間に過ぎない。また、日本沿岸の航行中に下勇が操船指揮を行ったのは、同月七日の午後〇時三〇分から午後二時三六分までの約二時間、同月八日の午前六時から午前七時三〇分まで及び午後七時四二分から午後九までの約三時間、同月九日の午前三時一〇分から午前三時三一分までの約二〇分間であり、しかも、このうちの同月八日については、ハーバーパイロットと共同の操船指揮である。
(三) 一般的に船長は他の船員と比較してその責任感が重く、精神的負担も大きいと言えようが、そもそも船長は、船員法の命ずる職務と職責とを的確に遂行し得る能力と資質とを有するからこそその職に就けることからすれば、他の船員に比較しその負担が大きいからといって直ちに過重負担であるとはいえない。そして、下勇は、(一)のとおり、船長として外国航路の航海をした経験も豊富であったし、タワーブリッヂ号の船長としての航海も経験していたことからすれば、右のような船長としての適性を備えていたということができ、本件航海においても格別疲労していた様子は窺われないし、仮に身体の異常を相当程度自覚していたのであれば、東京港入港後に医師の診断を受け、あるいは受けようとする行動があると思われるのに、そうした行動を一切とっていない。
(四) 右の状況に照らすと、下勇には、その死亡原因との間に相当因果関係が認められるような疲労、ストレスの蓄積等が存したものとは認め難い。
3 下勇の死亡原因等について
(一) 原告は、下勇の死亡原因が心筋梗塞症であるとし、疲労及びストレスの蓄積によってその発症があったと主張する。
しかし、心筋梗塞の発症から死亡までの一般的な経過としては、狭心痛、呼吸困難、めまい、嘔吐、顔面蒼白、冷汗等が挙げられるところ、下勇が昏倒してから死亡するまでの間にこれらの症状を呈していた事実は存在せず、また、他に心筋梗塞症であることを窺わせるような発症時の状況もないから、下勇の死亡原因が心筋梗塞症であるとまでは認定できない。下勇の直接の死因は急性心不全であり、その原因については心筋梗塞症のほか少なくとも解離性大動脈瘤等の可能性もあって、結局は不詳というべきである。したがって、下勇の死亡原因が心筋梗塞症であることを前提とする原告の主張はいずれも失当である。
(二) 仮に、下勇の死亡原因が心筋梗塞症であり、しかも、心筋梗塞症がストレスの蓄積等により招来され得るとしても、そもそも、ストレスは誰もが多少は有しているものであり、またどの職種にかかわらず職務を遂行する上で適度のストレスは必要であるといわれているのみならず、過労によるストレスがどの程度蓄積されれば心筋梗塞症が招来されるかといった点についての医学的検討が未だ充分とは言い難い状況であるから、ストレスの蓄積等によって心筋梗塞症がもたらされたという認定は極めて厳格にすべきであるところ、下勇について、そのストレスの量、質、程度等が判然としているとは言い難く、したがって、ストレスの蓄積等によって心筋梗塞症が惹起されたとの認定は到底できないというべきである。
4 原告は、下勇が職務上船舶に乗船していたために、心筋梗塞の発症後、救急医療措置を受けることができず死亡したものであると主張する。
しかし、急性心筋梗塞症の死亡率は、三五ないし五〇パーセントと高く、しかもその死亡例の六〇ないし七〇パーセントは、発症後一、二時間以内に病院外で死亡している。下勇は発症後極めて短時間の間に死亡しているのであるから、仮に陸上で発症したとしても救命の可能性は低かったものと認められ、したがって、同人が職務上船舶内にあったからといって、職務起因性を認めることはできない。
四 被告の主張に対する原告の認否及び反論
1 被告の主張1のうち、船員保険の被保険者の死亡が職務上の事由によるものとされるためには、職務遂行性のほか、職務起因性が必要であることは認め、その余は否認する。
2(一) 同2の(一)のうち、下勇が死亡時までに船員として三〇年以上の経験を有し、外国航路を航行する船舶の船長としての航海経験があり、また、昭和六〇年一二月から昭和六一年五月までの間にタワーブリッヂ号の船長として、本件航海と同様の航路を五回航行していたことは認め、その余は否認する。
(二) 同(二)の事実は否認し、主張は争う。
(三) 同(三)及び(四)の主張は争う。
3(一) 同3の(一)のうち、下勇の直接の死因が急性心不全であることは認めるが、その余は争う。
被告は、心筋梗塞症における発症から死亡に至るまでの一般的な経過として、狭心痛、呼吸困難、めまい、嘔吐、顔面蒼白、冷汗等が挙げられるとし、下勇が昏倒してから死亡するまでの間にかかる症状を呈した状況が窺えないとして、下勇の死亡原因が心筋梗塞症であるとまでは認定できないと主張する。
しかし、心筋梗塞症の発症時の症侯として、呼吸困難、嘔吐、顔面蒼白等の原因となる狭心痛をもたらさない無痛性心筋梗塞症が二〇ないし三〇パーセント程度、全く症状のない心筋梗塞症が一〇ないし一五パーセント程度の頻度で出現することが報告されているのであるから、被告の主張する事実は、下勇の死亡原因が心筋梗塞症であることを否定する何らの根拠にもなり得ない。
なお、被告は、下勇の死亡原因として解離性大動脈瘤等の可能性もあると主張するが、解離性大動脈瘤の発症は極めて稀であって、発生頻度としては心筋梗塞症が圧倒的に多いから、下勇の死亡原因を特定する際に解離性大動脈瘤の可能性はこれを排除することが相当である上、解離性大動脈瘤もストレスによる血圧変動の影響を免れないために、労災職業病の対象に含まれている。
(二) 同(二)の主張は争う。
4 同4の主張は争う。
第三 証拠関係<省略>
理由
一1 請求の原因1ないし3の各事実は当事者間に争いがない。
2 ところで、船員保険法による遺族年金は、被保険者又は被保険者であった者が職務上の事由又は通勤により死亡したときにその遺族に対して支給されるものであり(船員保険法五〇条)、本件において、原告は、下勇の死亡が職務上の事由によるものであると主張するところ、船員保険の被保険者の死亡が職務上の事由によるものとされるためには、その死亡原因である事故が職務を遂行している間に発生したものであること(職務遂行性)及びその事故と職務との間に相当因果関係が存在すること(職務起因性)の各要件を備える必要があるものと解するのを相当とする。
3 そこで、以下、下勇が死亡するに至った経過及びその際の状況並びに死亡原因等について検討した上、右各要件の存在が認められるかどうかについて判断する。
二下勇の死亡に至る経過及び死亡時の状況
請求の原因4の(一)の(1)のうち、下勇がタワーブリッヂ号に船長として乗船していたこと、同(2)のうち、タワーブリッヂ号が昭和六一年六月二六日米国のオークランド港を出港し、北太平洋を横断して同年七月七日東京港外に投錨停泊したこと及び北太平洋航走中に北洋サケ・マス漁の操業区域を通過したこと、同(3)のうち、タワーブリッヂ号が昭和六一年七月八日午前六時一五分から東京港への着岸を開始して同日午前七時四五分に着岸したこと、着岸後、下勇が代理店及び関係者等の応対をしたこと、同日午後五時一〇分名古屋港に向けて出港したこと、下勇が伊良湖ベイパイロットに操船指揮を引き継いだ直後の同月九日午前三時三五分頃船橋において昏倒したこと、下勇が同日午前四時頃急性心不全により死亡したものとされたこと、被告の主張2の(一)のうち、下勇が死亡時までに船員として三〇年以上の経験を有し、外国航路を航行する船舶の船長としての航海経験があり、また、昭和六〇年一二月から昭和六一年五月までの間にタワーブリッヂ号の船長として、本件航海と同様の航路を五回航行していたこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<書証番号略>、原本の存在及び<書証番号略>、証人油布忠彦の証言、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、下勇がタワーブリッヂ号内で死亡するまでの経過及び死亡時の状況等に関し、次の事実を認めることができる。
1 下勇は、死亡時までに三〇年以上の経験を有する船員であったが、昭和三九年から神戸汽船株式会社に勤務して、昭和五一年船長職に就任し、さらに、昭和五六年以降は外国航路の貨物船の船長として、三ないし八か月程度の航海をした後、一ないし四か月程度の休暇をとり、また次の航海に出るというような形態で乗船勤務をしていた。右の間の昭和五七年四月二一日、下勇は、第十とよた丸(一万五五〇二トン)に乗り組んで、愛知県知多郡南知多町野島の尾張野島灯台南東の中山水道海上をホノルルに向けて航行中、進路前方で底引き網漁を操業中の漁船を避航するに当たって充分な距離を置かなかったために、右漁船が引いていた漁網に自船船底を衝突させてこれを強く引き、右漁船を転覆させるという事故を起こし、同年一〇月五日業務上過失往来妨害罪により罰金一〇万円の略式命令を受けたほか、昭和六〇年三月二八日海難審判の裁決により戒告の懲戒を受けた。下勇は、特に「重要」と記載した紙袋にこの事故に関する一件書類を入れて保管していた。
2 下勇は、昭和六〇年一一月に竣工した神戸汽船株式会社初の高速コンテナ船であるタワーブリッヂ号に、そのギ装段階から船長として乗り組み、同年一二月の就航後は香港と北米のオークランドとの間を、途中で基隆、釜山、神戸、名古屋、清水、東京、ロングビーチ等に寄港して三五日間で往復する定期航路(極東北米航路。ただし、当初は神戸、オークランド間を往復。また、積荷の揚げ降ろしのない港には寄港しない。)における運航に従事した。
右航路は概ね東シナ海、日本沿岸、千島列島沖を通過し、北太平洋を横断するものであるが、各船会社間の競争が激しいこともあって、運航スケジュールの厳守が要求され、タワーブリッヂ号はその高速性(航海速力二一ノット)を前提とした分単位の厳重な運航時間の管理の下に運航されており、日本の各港においては夜間の出入港も多かった。加えて、右のような運航スケジュールを遵守するためには一定以上の速力で運航することが必要であるところ、北太平洋海域においては、冬期は荒天となり、船舶の動揺により貨物が損傷を受けることがあったり、運航速力が低下したりするため、運航スケジュールに従って貨物を安全に運搬するためには非常な努力を要し、また、六月ないし七月頃は、北洋サケ・マス漁の操業区域が航路の間に設定される上、霧が発生して視界不良となる季節であるので、操業中の漁船や漁網を発見して避航することに細心の注意を必要とした。また、東シナ海から日本沿岸にかけては、常時大小船舶が輻輳し、漁船の操業も多い海域であるため、他船舶との衝突、接触を避けて運航することに常に注意を払う必要があり、特に東シナ海においては四月頃から、日本沿岸においても六月の梅雨期にそれぞれ霧が発生して他船舶の発見が難しくなるので、一層の注意を必要とした。
下勇は、タワーブリッヂ号の船長として、船員法等関係法令に従い、右のような海域の状況と運航スケジュールの下で同船を安全に運航するとともに、船上で発生するあらゆる事柄に全責任を負うべき立場にあったが、航行中の船上での具体的な職務行為としては、船長室で行う事務関係の執務と船橋での操船指揮とがあった。操船指揮については、一等航海士、二等航海士及び三等航海士がそれぞれ一日二回宛て各四時間の航海当直勤務を行い、船長である下勇にはかかる当直時間はなかったが、法律上、入出港時及び船舶が狭い水路を通過するときその他危険の虞れのあるときには自ら操船指揮を行う義務を有しており(船員法一〇条)、生来生真面目で、責任感が強く、また神経質な性格でもあった下勇は、入出港時はもとより、それ以外の航行時にもしばしば登橋して操船指揮に当たっていたほか、船橋から離れる際にもナイトオーダーブック(航海当直に立つ者に対する指示や注意事項等を記入するノート)に、見張りを厳重にし漁船や行逢船に注意すべき旨や必要なときにはいつでも同人を起こし知らせるべき旨などを頻繁にかつくどい程に記入していた。また、タワーブリッヂ号が入港したときは、船長である下勇は、まず官憲との対応に忙殺され、その後会社との連絡、外来者の応接などの職務に当たることになり、休む暇はあまりなかった。
このような勤務状況から、下勇は、タワーブリッヂ号が同人の住所地にある神戸港に入港した際、船に尋ねてきた原告に対し同船の勤務で疲労するため下船したいというようなことを洩らしたこともあった。
3 下勇は、昭和六〇年一一月にタワーブリッヂ号に乗り組んで以来、下船することなく、香港(当時は神戸)、オークランド間を五往復半航海した後、昭和六一年六月二六日オークランド港を出港して本件航海に出た。本件航海においては、同月三〇日頃から同年七月一日頃まで北米小型サケ・マス漁船の操業区域を航行したので、下勇は同月一日を始めその前後のナイトオーダーブックには、漁船や漁網に対すること細かい注意事項と船長が必要なときはすぐ知らせるべき旨を記載した。同月三日には(日付変更線を通過したため同月二日は欠日)北洋サケ・マス漁の操業区域に入り、漁船及び約一五キロメートルにもわたる漁網を避航するため針路を様々に変更する必要がある状況の上に視界不良も加わったため、下勇は同日午前七時頃から午前一一時頃まで操船指揮をし、四月四日には午前八時頃から霧が発生し視界悪く厳重な見張りが行われる中合計約七時間(午前八時頃から午前一二時頃まで及び午後九時頃から午後一二時頃まで)操船指揮をし、同月五日にも視界不良でレーダーによる厳重な見張りが行われる間約三時間三〇分(午後八時頃から午後一一時頃まで。なお、午後九時に時差の修正のために三〇分時間を遅らせた。)操船指揮をし、同月六日にも同様の状況下において一定の時間登橋して操船指揮に当たった。同月七日タワーブリッヂ号は浦賀水道を通過し、東京港外に達して投錨停泊したが、その途次において、下勇は、多数の漁船その他の船舶が輻輳しこれを避航するために針路や速度を様々に変更する必要がある上、視界が悪い状況下で約二時間余り(午後〇時三〇分頃から午後二時三八分頃まで)操船指揮し、その後浦賀水道パイロットが乗船して操船指揮に当たった後も、午後四時三五分に投錨するまで船橋にいた。同月八日下勇は午前六時一五分から船橋にあってハーバーパイロットとともに操船指揮をし午前七時四五分タワーブリッヂ号を東京港に着岸させた。着岸後、下勇は官憲、代理店関係者、来船者との応対、会社との連絡、航路通報、書類整理その他の事務処理に追われ、ほとんど休む暇もなく午後四時四〇分頃から出港準備に入り、午後五時一〇分次の寄港地である名古屋港に向けて東京港を出港した。下勇は出港時からハーバーパイロット次いで浦賀水道パイロットとともに操船指揮し、午後七時四二分に浦賀水道パイロットが下船した後も午後九時頃まで操船指揮を続けて、午後一〇時過ぎに自室に入った。同月九日下勇は午前二時五分船が船長起こし地点に到達したことにより当直に起こされて、午前二時二〇分に登橋し、漁船が散在して霧のため視界が不良である中を操船指揮し、午前三時三一分に伊良湖ベイパイロットに操船指揮を引き継いだ直後の午前三時三五分頃船橋内で突然崩れるように昏倒した。
4 下勇は、昏倒直後、当直の二等航海士の問い掛けに「あーっ」という苦しそうな声を発したのみで他に返答はなく、脈が不整となっていた。二等航海士らは、操船指揮を伊良湖ベイパイロットに任せ、下勇をそのままの状態で安静に保った上、名古屋海上保安部を通じて医師の指示と手配とを求める一方、同日午前三時五〇分頃下勇の呼吸が浅く、心臓の鼓動も弱くなってきたので、午前四時頃からタワーブリッヂ号の衛生管理者である一等航海士が人工呼吸と心臓マッサージを開始し、さらに午前四時一三分頃海上保安部を通じ名古屋掖済会病院医師と連絡がとれ、その指示により午前四時四五分頃強心剤(ネオフィリンM)の皮下注射を施す等の措置をとった。タワーブリッヂ号は午前六時二〇分に名古屋港に着岸したので、下勇を救急車で名古屋掖済会病院に搬送して岡城孝志医師の診断を受けたが、午前七時頃にその死亡が確認された。同医師による死亡推定時間は、午前四時頃である。
5 なお、下勇は、同月六日午前九時頃、前月三〇日以来のサケ・マス漁船群の避航には非常に気を使ったと部下に話し、また同日の夕食の際、一等航海士との会話で「最近寝付きが悪い」という趣旨のことを洩らし、休暇で下船する甲板長のため同月七日夜船内で催された送別パーティには、当然船長が参加するところ異例のことながら疲れ気味であるからとして出席を断った。また、同人は、同月八日東京港出港後に船橋で操船指揮をしている際にも幾度となくため息をつき、さらに、同日午後九時三〇分頃に遅い夕食を取った後、一等航海士から酒を勧められた際にも、日頃少量の飲酒を嗜み、普段であればこのような誘いを受けた際には雑談をしながら軽く飲酒をしていくのに、誘いを断って自室に引き上げてしまった。乗組員らは下勇のこのような態度や顔色などから船長は相当疲労していると感じていた。もっとも、本件航海中下勇には他に格別変った行動はみられず、また、同人が疲労や睡眠不足のこと以外に積極的に身体の異常を訴えたり、あるいは東京港入港時に医師の診察を受けようとしたりしたことはなかった。
以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。
三下勇の死亡原因等について
1 <書証番号略>、原本の存在及び<書証番号略>、証人油布忠彦及び同池田俊平の各証言、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、(一)下勇は、昭和四〇年に胃潰瘍で入院手術したことがある外は、既往症はなく、昭和五六年から昭和六〇年までの年一回の健康診断の結果によっても、体重、血圧、尿所見、胸部レントゲン写真その他に異常所見は見られなかったこと、(二) 下勇には喫煙の習慣はあるが、一日一〇本ないし一五本程度であり、また、飲酒もするが、酒量は少なく、ともに医学上問題となる程度ではなかったこと、(三) 下勇本人は健康に自信を持ち、心電図検査を含む「中高年検査」を受けていなかったことが認められる。
2(一) 下勇の直接の死因が急性心不全であることは当事者間に争いがないが、<書証番号略>及び同証言によれば、急性心不全は、医学的には厳密な意味でその病態を表す診断名ではなく、最終的には心臓の機能不全により急速に死に至ったが、その原因である病名を特定できない際に通常用いられるものであることが認められる。
(二) そこで、下勇につき、右二の死亡に至る経過及び右1の健康診断の結果等に基づいて、その急性心不全をもたらした原因となる疾病について検討するに、<書証番号略>、原本の存在及び<書証番号略>、証人田尻俊一郎の証言及び弁論の全趣旨を総合すると、(1) 死亡時五五歳であった下勇が右二のとおり急病死した原因としては、脳血管系疾患と心・血管疾患とを検討すべきこと、(2) 脳血管系疾患として考えられる疾病のうち、脳出血、脳梗塞は主として高血圧に起因することから、くも膜下出血は急激な経過をたどることは少ない上、激しい頭痛を訴えることが多いことから、またテント上出血及びテント下出血も短時間で死亡する例は少ないことから、いずれも下勇の死亡原因である疾病としては考えにくいこと、(3) 心・血管疾患として考えられる疾病のうち、心筋症は胸部レントゲン写真で異常を発見されやすいことや動悸等の症状があることから、狭心症は極めて重篤な場合以外は一回の発作で死に至ることはなく、したがってこれによって死亡する場合には狭心症の既往があることが多いことから、大動脈解離は胸部レントゲン写真で異常を指摘されることが多い上、多くの症例では激しい胸背部痛を訴えることから、大動脈瘤破裂は、そのうちの上行大動脈から下行大動脈にかけての大動脈瘤については胸部レントゲン写真で異常を発見されることが多いことから、腹部大動脈瘤については腹腰痛が出現し、死亡までに時間があることから、いずれも下勇の死亡原因である疾病としては考えにくいこと、(4) 心疾患のうち、高度の不整脈は死亡原因となった可能性がないではないが、動悸、めまい等の症状があり、健康診断の結果から、その可能性はさほど高くないこと、(5) 以上の各疾病を除外すると、下勇の死亡原因となった疾病は急性心筋梗塞症である可能性が最も高く、また、心筋梗塞症を含む虚血性心疾患は、いわゆる突然死(発症から二四時間以内の予期しない内因性死亡)の死亡原因としてはかなりの割合を占めていること、(6) もっとも、急性心筋梗塞症は激しい狭心痛及びこれに伴う嘔吐や顔面蒼白等の症状を伴うことが多いが、重篤な心筋梗塞症などで狭心痛を訴える間もなく死亡する無痛性心筋梗塞症の割合もかなりあり、下勇の死亡原因を心筋梗塞症と考えることと同人が殆ど苦痛を訴えた形跡がないこととは矛盾しないこと、以上の事実を認めることができる。
(三) そして、右認定事実に、本件で提出された下勇の死亡原因を推定する医証のうち、淀川勤労者厚生協会西淀病院副院長兼同協会社会医学研究所長である証人田尻俊一郎の証言及び同人作成の意見書(<書証番号略>)は、これを心筋梗塞としていること、東京女子医科大学循環器内科教授木全心一作成の意見書(<書証番号略>)は、急性心筋梗塞が最も可能性が高いが、不整脈の可能性も否定できないとしていること、下勇の死亡を確認した名古屋掖済会病院医師岡城孝志作成の社会保険審査会に対する回答書(<書証番号略>)は、虚血性心疾患、解離性大動脈瘤は本例の内容と矛盾しないとしていることを併せ考えると、下勇の死亡原因である疾病は急性心筋梗塞症であるものと推認するのが相当である。
(四) なお、右二の4のとおり、下勇が昏倒してから死亡するまでの間に狭心痛、呼吸困難、めまい、嘔吐、顔面蒼白、冷汗等の症状を呈していたことは特に窺えないところ、被告は、このことから同人の死亡原因が心筋梗塞症であるとまでは認定できないし、右死因は解離性大動脈瘤の可能性もあると主張する。しかし、狭心痛等の症状がなくとも死亡原因を心筋梗塞症と認定する妨げとならないこと及び解離性大動脈瘤が死亡原因であることの可能性は少ないことは右(二)の(6)及び(3)のとおりであるから、右事実は右(三)の推認を覆すに足りない。
また、証人池田俊平は、心筋梗塞症がその症状として激しい痛みを伴うこと、及び、年齢四〇歳以上の者であれば、心電図検査を含めた成人病の検診を毎年行っており、心筋梗塞症の原因となる冠状動脈の異常があれば心電図検査で発見されて処置がとられているはずであるが、下勇についてはその形跡がないことを理由として、下勇の死亡原因は必ずしも心筋梗塞症であるとはいえないとした上、同人は、心臓が収縮、拡張を繰り返すための刺激を伝える刺激伝導系の異常による不整脈症状から突然死に至ったものと考えられる旨供述する。しかし、同証人自身も下勇の死亡原因が心筋梗塞症である可能性が高いことは否定していないのみならず、痛みを伴う症状のないことが死亡原因を心筋梗塞症と認定する妨げとならないことは右(二)の(6)のとおりであり、また下勇が心電図検査をしていなかったことも右1のとおりであるから、同証人が下勇の死亡原因として心筋梗塞症を除外した根拠は薄弱であるものといわざるを得ない。さらに、同証人の証言及び<書証番号略>によれば、刺激伝導系の異常は主に不整脈症状による心臓突然死例の原因として想定、検討されているものであることが認められるところ、右(二)の(4)のとおり、下勇の死亡原因が不整脈である可能性自体がさほど高くない上に、突然死の原因となる疾病のうち刺激伝導系の異常によるものが占める割合などの点を明らかにする証拠もないので、右疾病を下勇の死亡原因と認定する根拠も乏しいといわなければならない。そうすると、同証人の右証言はこれを採用することができない。
四職務遂行性の要件について
請求の原因4の(三)の事実は当事者間に争いがない。
五職務起因性の要件について
1 原告は、下勇が死亡するまで約六か月余にわたってタワーブリッヂ号に乗船しており、その業務及び生活の場はともに航海中の船上であって、その生活全体が業務遂行と一体ないし不可分であり、かつ、死亡するまでの間にその死亡に直接間接に関係するような職務外の恣意的行為は存在しなかったから、下勇について心筋梗塞症その他死亡の結果をもたらした原因は、時間的にも場所的にもその職場環境と業務による刺激以外に想定することができず、このような場合にあっては、下勇の死亡原因が職務に起因する旨の強い推定が働く旨主張する。
しかし、下勇の死亡原因と職務との関係を具体的に究明することなく、単に、同人が長期間タワーブリッヂ号に乗船しており、その業務及び生活の場はともに航海中の船上であったこと等、原告主張事実のみを基礎として、主張の推定が働くと解することはできないから、右主張は、それ自体失当である。
2 <書証番号略>、原本の存在及び<書証番号略>、証人田尻俊一郎及び同池田俊平の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、(一) 心筋梗塞症の機序については、概ね心筋を養う冠状動脈の血管内腔に主として動脈硬化により狭窄部が生じ、さらに血栓が生じて狭窄部を閉塞することにより血流が途絶して心筋の壊死を招くことにより発症するものとされていること、(二) 冠状動脈に心筋梗塞症発症の準備段階である動脈硬化を形成する危険因子としては、性別(男女の比率では男性の方が高い。)及び年齢(男性の場合概ね四〇歳以上の者に発症する率が高い。)という基本的な因子の外、個別的な因子として、高脂血症、高血圧症、糖尿病、肥満症、過度の喫煙等が挙げられているが、さらに情動ストレス(精神的ストレス)、疲労、睡眠不足等が心筋梗塞症の発症に関連するものとされていること、(三) 情動ストレスと心筋梗塞症との関係については、不快情動ストレスにより、血栓が形成され、さらに体内のカテコールアミンの増加の効果として動脈硬化が促進される一方、カテコールアミンの増加により心拍数の増加、血圧上昇がもたらされ、心臓の仕事量すなわち心筋の酸素消費量が増大するところ、個体側に動脈硬化などが存在して増大した冠血流の需要に供給が伴わないときに発作が起きるとする論説などもあるが、他方、ある外部的要因(ストレッサー)に対する個体側の反応(ストレス)の有無程度については個人差が大きいものであり、そのストレスの程度を客観的に測定する方法は確立されておらず、また、ストレスと発作との因果関係が完全に解明されたとはいい難いことなどから、ストレスが心筋梗塞症の発症に影響すること自体はほとんどの論者によって承認されつつも、その寄与の程度等については定説といえるものがまだ現れていないこと、(四) 疲労及び睡眠不足とストレスとは厳密に区分することができず、これらと心筋梗塞症との関係については概ねストレスと同様に考えられること、以上の事実を認めることができる。
3 そこで、右2の認定事実を基に、右二及び三の1で認定した事実に即して、下勇に係る心筋梗塞症の発症と同人の職務との関係について検討する。
(一) <書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、実務運用の指針として、脳血管疾患及び虚血性疾患等が労働基準法施行規則別表第一の二第一号の業務上の負傷に起因する疾病に当たるか否かの認定基準を示した昭和六二年一〇月二六日付基発第六二〇号各都道府県労働基準局長宛労働省労働基準局長通達及びその解説は、心筋梗塞症を含む虚血性心疾患等につき、原則として発症直前からその前日までの間の業務又は発症前一週間以内の業務が、通常の所定の業務内容等に比較して特に過重な精神的、身体的負荷を生じさせたと客観的に認められる場合で、かつ、右過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであるときは、当該虚血性心疾患等を業務に起因することの明らかな疾病に当たるものとして取り扱うべきこととしていることが認められる。
そこで、まず、下勇につきその心筋梗塞症発症直前及びその前一週間以内(昭和六一年七月一日から八日まで。なお、右二の3のとおり同月二日は欠日)の業務内容について見ると右二の3のとおりであって、同月一日から七日までの間に、タワーブリッヂ号は北米小型サケ・マス漁船の操業区域及びこれに続いて視界不良下に北洋サケ・マス漁の操業区域を航行し、右区域を脱した後も視界不良状態が継続する中を航行して、同月七日には漁船その他の船舶が輻輳し、かつ視界が悪い中を浦賀水道を通過して東京港外に投錨停泊するに至っており、この間、下勇は、昼夜を問わず随時操船指揮に当たる態勢をとり、現に同月三日以降連日操船指揮等に当たっているところ、かかる操船指揮等に従事した時間は一日当たり最高七時間程度であるが、いずれも漁船や漁網若しくは輻輳する船舶等を避航するために針路を様々に変更する必要があるとか、あるいは(又はこれに加え)視界不良とかいうような困難な状況下で行われたものであるから、右の操船指揮等による同人の精神的緊張及びこれに伴う疲労の程度は平穏時のそれとは比肩し得べきもなく大きいものであったと認めることができる。さらに、タワーブリッヂ号が東京港に着岸し、次いで出港した同月八日から発症直前にかけては、下勇は、同月八日午前六時一五分から午後九時頃まで、着岸のための操船指揮、次いで入港に伴う官憲その他の者との応対及び会社との連絡その他の事務処理、さらに出港時の操船指揮といった業務にほとんど休む暇もなく従事しており、その後四時間前後休息した後、同月九日午前二時二〇分頃から、漁船が散在し、かつ、視界不良の中を一時間余り操船指揮したのであるから、同月八日から心筋梗塞症発症直前に至るまでの間の業務に伴う精神的緊張及びこれに伴う疲労も相当に大きかったものと推認することができる。
しかし、証人油布忠彦の証言及び弁論の全趣旨によれば、下勇が本件航海中にした右のような業務は、外国航路の貨物船の船長が関係法令に従って通常一般に行う業務の範囲を出るものではなく、質的、量的に特に異常であるといった類のものではないことが認められる。また、右二の1ないし3のとおり、下勇は、昭和五六年から外国航路の貨物船の船長を勤め、また、タワーブリッヂ号の船長として昭和六〇年一二月から本件航海直前までの間に本件航海と同じ極東北米航路を五往復半しているのであって、その間に右と同程度に困難な状況の下での操船指揮や入港時の煩雑な事務処理などを経験していたであろうと考えられる。そうすると、右のような、下勇の発症直前及びその前一週間以内の業務が同人に多大な精神的緊張及び疲労をもたらしたとしても、右業務を通常の所定の業務内容等と客観的に比較した場合においては、特に過重な程度のものであったとまでは認められない。
(二) しかしながら、右2のとおり、疲労、睡眠不足、ストレス等が、その寄与度について諸説があるとはいえ、心筋梗塞症の発症に関連すること自体についてはほとんどの論者によって承認されていること、右(一)の認定基準も、心筋梗塞症等の発症直前において業務に伴う著しい疲労、睡眠不足、ストレス等があるときは、これを業務上の負傷に起因する疾病とすることを前提とし、ただ、その判定に当たっての恣意性を排除するために、判断基準を発症前一週間以内の客観的な業務の過重性に求めたものと考えられること等に鑑みれば、船員保険の被保険者が心筋梗塞症発症直前及びその前一週間以内に従事した業務の内容が、一般的かつ客観的にみれば、通常の所定の業務内容に比較して特に過重な内容であるとか程度であるとかいえない場合であっても、具体的な状況下において、右の業務内容に止まらないその他の業務に起因する事由が存在し、これを当該業務内容とあいまって、発症直前までに当該被保険者に著しい疲労、睡眠不足、ストレス等をもたらしたと認められ、かつ、他に当該被保険者の心筋梗塞症の発症に寄与したと認められるような因子が見当たらない場合においては、なお、当該職務と心筋梗塞症の発症との間には相当因果関係があり、職務起因性が認められるものと解すべきである。
そこで、以下、かかる見地に立ってさらに検討を加える。
(1) 右二の2のとおり、下勇が最新鋭の高速コンテナ船の船長に就任したのは、タワーブリッヂ号が最初であり、しかもタワーブリッヂ号は就航したばかりの船であった。したがって、同人が従前四年ないし五年程度外国航路の貨物船の船長を勤め、荒天時や視界不良時の航海あるいは漁船その他の船舶が輻輳する海域での航海について相当程度の経験を有していたとしても、これに加えて運航の管理をするという面では、操作に習熟していないタワーブリッヂ号について、その高速性を前提とした厳重な運航スケジュールを遵守する必要のあった昭和六〇年一二月以降は同人の業務の程度、内容は従来に比較して飛躍的に加重されたものと認めることができる。そして、下勇は、生来生真面目で、責任感が強く、また神経質な性格である上に、昭和五七年に漁網に衝突し漁船を転覆させる事故を起こして罰金刑を受け、またタワーブリッヂ号に乗り組む約半年程前には船員としては不名誉な戒告の懲戒を受けてもいるのであるから、高速コンテナ船であるタワーブリッヂ号の船長となってからは、他船や漁網との衝突や接触を避けるという点において、ことに神経質になっていたものと考えられるのであって、このことは乗組員に対する言動をはじめナイトオーダーブックへの頻繁な記入などからも優に裏付けられるのである。そして、下勇がこのような状態のまま長時間タワーブリッヂ号の船長としての業務を継続していけば、疲労(特に神経性の疲労)の相当部分が回復されないまま、蓄積されていくものと推認されるのであって、そのような経緯は、同人が神戸港入港の際に原告に洩らした言葉からも窺い得るのである。そうであるとすれば、乗船以来六か月余が経過し、この間下船することなく、極東北米航路を五往復以上航海した後の本件航海時までには、下勇には相当程度の疲労が蓄積されていたと認め得るのである。
本件航海に出た後である昭和六一年七月一日からの下勇の具体的な業務内容及びそれによる疲労の程度等については、右二の3及び右(一)のとおりである。そして、右業務内容は、それのみを取り出せば、前記のとおり船長が通常一般に行う業務の範囲を出ないものと評価されるに止まるとしても、これによる疲労の度合いそのものは決して無視できるものではないと認められるところ、右に述べたような従前からの疲労が相当程度蓄積されていることを考慮に入れ、さらに、同人が、その性格や事故歴から、視界不良時や漁船その他の船舶が輻輳している際の航行には特に神経質となっていたこと、同月六日夜には一等航海士に「最近寝付きが悪い」という趣旨のことを洩らし、同月七日夜の甲板長の送別パーティにも異例のことながら疲れ気味であるとして出席を断ったこと、同月八日の同人の顔色や態度、言動などから、同人が相当疲労していることが乗組員にも見てとれる状態であったことを総合すると、本件航海に出てからの業務により下勇の疲労の度合いはさらに増していき、これに睡眠不足も加わって、同月八日午前六時一五分に東京港着岸を開始した後、四時間前後の休息を挟んで、同月九日午前三時三一分に伊良湖ベイパイロットに操船指揮を引き継ぐまで、継続して業務に従事していた時点における下勇の疲労及び睡眠不足の度合いは著しいといい得る程度にまで達していたものと優に認めることができる。
もっとも、右二の3で認定した事実関係によっても、下勇が船橋にいなかった時間が少なかったわけではないから、その間に適宜休息ないし睡眠をとっていたとすれば、睡眠不足に陥らなかったのではないかとも考えられる。しかしながら、下勇が船橋にいなかった時間帯のうち自室で休息ないし睡眠をとり得た時間が明らかとなる証拠はない上、仮に睡眠等で充てることのできる時間自体は少なくなかったとしても、前記のような当時の同人のおかれた状況及び性格からすれば、操船指揮のため随時起こされることがあり得る状態で充分の睡眠をとり得たかどうかは不明であって、現に同人が不眠症状にあったとの趣旨のことを洩らしていることに照らせば、下勇が船橋にいなかった時間が少なくなかったという事実のみでは右認定を覆すに足りない。
また、下勇が、本件航海中積極的に身体の異常を訴え、あるいは東京港入港時に医師の診断を受けようとしたことのなかったことは、右二の5のとおりである。しかし、下勇がタワーブリッヂ号の船長としての重責を担っており、一方、同人は全認定のとおり自己の健康には自信を持っていたことを考え併せれば、このような事実をもってしても右の認定を左右するには足りないというべきである。
(2) 右2の(二)のとおり、冠状動脈に心筋梗塞症発症の準備段階である動脈硬化を形成する個別的な危険因子としては、高脂血症、高血圧症、糖尿病、肥満症、過度の喫煙等が挙げられているところ、右三の1の事実によれば、下勇についてはこれらの危険因子は存在していなかったものと認められる。
(3) そうすると、下勇の心筋梗塞症の発症については、本件の具体的な状況の下においては、同人がそれまで従事していた業務が、同人の性格や職歴その他の事由とあいまって、同人に著しい疲労及び睡眠不足をもたらしたものと認められるような事情が存在し、かつ、他に同人について心筋梗塞症の発症に寄与したと認められるような個別的な因子が特に見当たらない場合に該当するものといわざるを得ない。
したがって、その余の点につき判断するまでもなく、本件における下勇の心筋梗塞症の発症は、職務に起因するものと認めざるを得ない。
六以上によれば、下勇の死亡原因である心筋梗塞症は、同人の職務遂行中に、その職務に起因して発症したものであると認められるから、同人は職務上の事由により死亡したものというべきであり、同人の死亡が職務上の事由によるものとは認められないとしてした被告の本件処分は取消しを免れない。
よって、本訴請求は理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官中込秀樹 裁判官石原直樹 裁判官長屋文裕)